梅田が「埋田」だったことを示す初代大阪駅建設前の写真が発見され、10月11日からJR大阪駅の構内で展示が始まった。研究者は「伝承はあったが証拠写真は一枚もなかった。貴重な資料だ」と喜ぶ。
梅田の地名の由来には「田を埋めた『埋め田』から」や、「梅の木があった」など諸説あるが、駅舎が建つ以前の様子が分かる写真資料はこれまで見つかっていなかったという。
発見された写真は、神戸~京都間の鉄道敷設を指揮したイギリス人技術者のジョン・イングランドが撮影したもの。豪州に住む同氏のひ孫が保管していた古い鉄道写真24セットを大阪産業大の林田治男 名誉教授が確認し、撮影場所を特定したいと情報提供を呼び掛けていた。
これらの写真を京都大学鉄道研究会OBの西城浩志さんらが解析した結果、建設中の初代大阪駅を写したものが5枚含まれていると判明。今年4月、鉄道史資料保存会の季刊誌「鉄道史料」で発表した。
写真を最初に見た印象について西城さんは「何もない砂地に工事現場が写り込んだだけの写真で、皆が悩むだけある難物と分かった」と話す。窓の形状や煙突の存在、建物の構造・配置などを検証し、大阪駅であることを同定した。建設中の写真には水抜き井戸も確認でき、梅田が湿地帯だったことがうかがい知れるという。
今回の展示について、国鉄時代を含めると39代目の大阪駅長となる新林由浩さんは「写真の存在にびっくりした。この貴重な資料を基に現在の駅舎になるまでの変遷を知っていいただけたら」と話す。現地では全16枚のポスター資料で初代大阪駅の工事開始から2代目大阪駅までを解説している。
10月27日まで。