福島区大開で12月14日、「経営の神様 松下幸之助が選んだ創業の地ツアー」が開催された。
大開(当時=北区西野田大開)は、1918年に故・松下幸之助氏が「松下電器具製作所」を創立した地で、1933年に門真市に移転するまでの15年間、本店・工場があった。移転後も、生涯本籍を置き続け、地域の人々とも深く交流したエピソードも数多く残る。
長年にわたり「創業の地」を示すものは存在していなかったが、大開連合町会が町おこしを視野に入れた「大開町と松下幸之助に関する事業委員会」を立ち上げ、2004年11月に記念碑を建立した。また2004年11月に発足した「PHPおおひらき松翁会」のメンバーには松下幸之助氏と交流のあった人々の子孫も参加し、地元の語り部として活動している。
同ツアーは、大阪商工会議所 北・都島・福島支部が「わがまち☆まち歩き観光ツアー」と称し、地域のボランティア組織などと共催する取り組みの一環で、各地域の活動が継続し定着することを目指している。
当日、大開福祉センター(大開1)で開かれた郷土史家の井形正寿さんの講演で、松下幸之助氏の苦労時代や経営哲学に関するエピソードをクイズ形式で学んだ後、「PHPおおひらき松翁会」のガイドで記念碑の建つ「第二次本店・工場」、2階建ての借家があった「創業の家」、生涯本籍を置き続けた「第一次本店・工場」などの跡地を見学。「転居後も大開の米屋に配達を頼み、懐かしみながら交流を続けた」などのエピソードも紹介された。
松下幸之助氏が近所の商店主らと作った親睦会「十一会(といちかい)」は、後に「十一商事」という会社になり、現在の跡地の建物には当時の表札が掛けられている。「十一会」に参加していた商店が集まる通りを「十一通り」と名付ける動きもあるという。
講師の井形さんは「大阪の根性を出して力を合わせ、この地域が『松下の街』として活性化するよう見守ってほしい」と締めくくった。