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エリア特集2014-03-03

阪神梅田本店の屋上遊園、50年の歴史に幕

 お子さまランチに屋上遊園地――かつて子どもたちが憧れた休日のお出掛けコース。そんな昭和の雰囲気を感じられる百貨店の屋上遊園地が2月28日、大阪市内から姿を消した。

 

 1958(昭和33)年3月13日に増築完成した阪神百貨店(現・阪神梅田本店)は9階屋上に屋上遊戯施設を開設。翌1959(昭和34)年に、モノレールやミニ観覧車、メリーゴーラウンド、バッテリーカー、定置式乗り物などが並ぶ遊戯施設の一つ、三島が登場し、安心・安全をモットーに家族全員が楽しめる屋上遊園が誕生した。1963(昭和38)年には現在の大阪神ビルが竣工し、12階屋上が登場。9階と12階、2つの屋上遊園を併設し、夏季にはビアガーデンも営業するなどにぎわいを見せた。

 ピークはバブル時代の1985年から1989年ごろ。週末や祝日にはモノレール乗車待ちの人が列を作り、1日約1000人が乗車する人気スポットになった。ヒーローショーも多くの人を集め、「金魚すくいも1日1000人ぐらいが楽しんでいた」という。当時、百貨店は家族全員で楽しめる場所として人気があったが、家庭用ゲーム機の普及や大型テーマパークの登場、少子化などの影響もあり、徐々に客足は遠のく。全国にあった百貨店の屋上遊園地は次々と閉園していった。1991年には9階屋上がゴルフレッスン場になり、2006年4月1日には庭園化。9階の屋上遊戯施設は全国の桜を植え芝生が広がる屋上庭園に姿を変えた。
(写真提供:三島)
 
 残った12階の屋上遊園は、中央に10台のバッテリーカーで遊べるスペースとペット用品ショップ、両側に乗り物・ゲームコーナーがあるが、ここ10年ぐらいの来園者は、平日は幼稚園に通う前の子どもと親で週末でも多くて約200組程度と減少。だが、「うちに来るお客さんに悪い人はいない。ほほ笑ましい家族ばかり。お客さんが笑顔でいてくれるので続けられてきた」と同園を約30年運営する村上洋人さんは目を細める。「よくいえばいつ来てもある安心感、悪くいえば変化がない」というが利用者が少ない分、来園する子どもの名前を覚えてコミュニケーションを図り、「本来は夏場だけだが秋に金魚を捨てるのがかわいそう」と、年中続ける金魚すくいは2歳の子どもでもすくえるよう丈夫な紙に変えるなど来園者に寄り添って固定ファンを増やし、かつてほどのにぎやかさはないが市民の憩いの場として親しまれてきた。
 
 
 同ビルの建て替え準備のため閉園が決まり、発表された2月12日の翌日、村上さんは「30年ぐらい続けているので寂しいが十分やった感じ。最後まで今まで通り営業していきたい」と、閉園への思いを語る。営業終了発表後は、親子連れだけではなく大人たちも来園し、今では珍しい10円で遊べるゲームやパンダの乗り物など、レトロ感あふれる雰囲気を楽しんだ。
 
 そして迎えた最終営業日の2月28日。営業終了を知った同園のファンや親子連れが最後の姿を収めようとカメラやビデオカメラを持って集まり、にぎわいを見せた。平日夕方までの営業にもかかわらず、集まったのは約500組。「新聞で今日が最後だと聞いて幼稚園が終わってから駆け付けた」という親子連れは「阪神のおっちゃんの人柄が優しくて、おっちゃんとこの雰囲気が好きでよく来させてもらった」と閉園を惜しむ。
 
 閉園時間の17時30分、遊んでいた子どもたちに順に声を掛け、遊具の片付けが始まった。「30年間お疲れさまでした」と花束を渡した親子には「またいつかどこかで」と返し、お菓子を渡した子どもたちとはハイタッチをするなど、最後の交流を楽しんだ村上さん。親子連れらが「たくさん遊んでくれてありがとう」と声を掛けた。
 
 18時過ぎ、マスコミのカメラに囲まれた村上さんは「無事一日終わることができました。阪神屋上遊園は皆さんの心の中でどこかで生きてくれるものと思います。時々思い出してやってください」とあいさつし、最後の片付けに向かった。

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