淀川付け替え100周年でシンポジウム-「治水翁」大橋房太郎氏の功績たたえる

パネルディスカッションの様子

パネルディスカッションの様子

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 「水都の会(水都大阪を考える会)」は明治の淀川付け替え工事が竣工してからちょうど100年にあたる6月1日、これを記念したシンポジウムを大阪市中央公会堂(大阪市北区中之島1)で開催した。

1885年の大水害で倒壊した天満橋の様子

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 水が豊かな大阪は過去多くの洪水に遭い、中でも1885(明治18)年の大水害では甚大な被害に遭った。その時に「このようなことは、もう二度と起こしてはいかん」と淀川治水に生涯を捧げようと立ち上がった「治水翁」大橋房太郎氏の功績をたたえ、「もっと多くの人に大橋房太郎さんの功績を知ってもらいたい」と、同会ではゆかりの地を訪ねるツアーなど房太郎氏にスポットを当てたイベントなどを開催している。大阪市内の中心を流れる旧・淀川(現・大川)は湾曲していたためはんらんしがちだったため、毛馬(都島区)のあたりから真っ直ぐ西へ大阪湾まで新しい川道を開削し付け替えられ、現・淀川は1909(明治42)年6月1日に竣工式が行われた。

 シンポジウムの第1部では、旭堂南陵さんが上方講談「大橋房太郎一代記」を披露。房太郎氏が書生として上京中に大阪が水害に遭ったことを知り、大阪に戻って治水の必要性を訴え続け、ついに帝国議会で可決され改修工事が竣工するまでの苦難を、笑いを交えながらテンポのよい講談で紹介した。

 第2部のパネルディスカッションでは、淀川付け替え事業の歴史的意義と大橋房太郎について話し合いが行われた。大阪人間科学大学教授の片寄俊秀さんは「防災の基本は守るに値するいい街を作ること」、旭堂南陵さんは「小さい時に近所にあった川がコンクリートで固められた時、親から防災のためだと言われた。川に親しみを持つことや経験則が大切。川とどう付き合うか、どう防災するのかのヒントになる」などと発言。司会の京都市立芸術大学准教授藤本英子さんが「わたしたちが100年後のために何ができるかのきっかけになれば」とまとめ、パネルディスカッションは終了した。

 最後に特別ゲストとして房太郎氏のひ孫でシャンソン歌手の中村扶実さんが登場。「先日、蔵から竣工式の祝辞を書いた5~6メートルもある巻物が出てきた。今日毛馬の閘門(こうもん)を訪ね、100年前に感動して祝辞を読んだのだろうなと思いをはせた」と話し、大橋房太郎に捧ぐ歌「MIO 澪~水都物語」を披露した。

 同会代表の藤井薫さんは「水にこだわるほかの団体と一緒に、地道に水都再生を目指して活動していきたい」と今後の抱負を語った。

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